憂鬱の科学

二度目の祭典は没落の象徴か


 市川崑が監督し、世界的に名を知らしめた日本を代表するカメラマンの宮川一夫が撮った『東京オリンピック』は1936年のベルリン・オリンピックを収めたレニ・リーフェンシュタールの『民族と祭典』と並んで、記録映画を越え芸術性を昇華させたフィルムとして多くの論争を喚び起こした作品だ。

 1964年の東京オリンピックは大戦で国土を荒廃させた日本が高度経済成長を揮って、世界に繁栄を知らしめた一大イベントであった。

 半世紀を経て再び東京で催されることとなったオリンピックが未曽有の災厄で延期され、世相を暗くした日本の多くの若者が待ち焦がれている世紀の祭典を今度こそは開催するとした諸人らの強い意志は4年に一度の祭典を晴れの舞台と期して日々の鍛錬を重ねてきた多くの選手らにとっても幸甚なことではあろう。

 しかしながら、東京での祭典を焦がれる日本の若者らや選手らだけの為に在るべくもない筈の祭典を未曽有の災厄に苛まれる世界の状況下で猶も開催に固執する態度は剰りに日本人のエゴを曝して、躊躇を感じないものだろうか?

 政界では緊急事態宣言が発出されて3ヶ月も経っているのだから寧ろ緊急事態に対する心構えは緩慢化しており、その解除こそ爾後の施策に益するだろうといった辞さえ聞かれ、開催の為に大金を注ぎ込んだ組織委員会は世界からの観客を拒んでも開催を計ると弁ずる。

 こうした日本民族のエゴイスティックな態度で営まれる祭典が果たして以後の歴史にどのような陰を落とすかは断じ得ないが、先の東京オリンピックが日本の繁栄の象徴であったれば、今度の東京オリンピックは正しく日本の没落の象徴に堕する予感を禁じ得ない・・・
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  2. 2021/03/19(金)
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